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長編 CLOSED CIRCUIT
CLOSED CIRCUIT -1-「夏日」

 昔、「京都の夏は日本一暑い」と何処かで聞いた覚えがある。
 何処で聞いたかも、誰が言ったかも全く覚えていない。もしかすると、誰もそんなことは言ってないのかもしれない。とにかく、僕にあるのはそれが事実だという20年に渡る自己体験だけである。
 小さい頃はそれほど気にしてはいなかったのだが、成長し、他の地域に出向く事が多くなった今では、それは間違いなく事実だと言い切る事が出来る。
 京都の夏は暑い。間違いない。
 確かに、気温という観点からみたら、沖縄といった南の地域の方が高いかも知れない。しかし京都市内は盆地という地形上、熱が籠もりやすい。空気そのものが熱を持って、僕たちの身体にまとわりついてくる。要は湿度が高いのである。果てしなく不快な暑さを、京都という都市は毎年体験させてくれる。あまりに素敵すぎて失神しそうだ。
 赤道直下の国から来た、暑さに強いはずの外国人でさえ、あまりの不快さに参るという話も聞いた。これは事実かどうかは分からないが、そんなたとえ話が持ち出されるほど、京都は暑いということだ。

 そんな不快な暑さの中、僕は川端通りを歩いて北上していた。
 午後1時現在、京都市内の気温は38度。呆れる程の暑さだ。太陽がその身の中で核融合を起こし、その熱を惜しげもなく地表に降り注いでくれているおかげだ。本当にありがた迷惑な話だった。すぐ傍を鴨川が流れているため、吹いてくる風にまだ熱が篭っていないことが唯一の救いだ。
 しかし鴨川が傍にあるということは、ある意味においては地獄だった。
 カップル。カップル。カップル。人。人。人。男と女。男と女。男と女。
 いつものように、鴨川の河岸には呆れるほどのカップルが座り込み、身体を寄せ合って、睦言を囁きあっていた。カップル達はまるで計測したように等間隔に座っている。よく言われる、京都の不思議な風習の一つである。本人達は気にしていないだろうが、上からその風景を眺めるとある種、気持ち悪い。何より、何故こんな暑い中、鴨川に座り込んでいちゃつかなければいけないのか理解できなかった。するならカラオケボックスの中か、ホテルか、自宅のベッドの中か、車の中か、とにかく人目のつかない場所でして欲しい。見てるこっちが暑苦しい。
 自慢ではないが、僕は今まで女の子と付き合ったことなどない。
 中学、高校と一貫の学校に通ってきた。もちろん男女共学。その中で、僕は一度も女の子と付き合わなかった。周りの友達が彼女を作っていく中で、僕は作らなかった。
 何故か?
 言っておくが、僕がモテなかった訳ではない。友人達には一度も言った事はないが、実は6年間の間で数え切れない位の女の子からのアプローチはあった。僕がそれを享受しなかっただけだ。
 もう一度問う。何故か?
 それは自分にも分からない。少なくとも今までの人生の中で僕の裡に女の子と付き合いたいといった感情は生まれてこなかった。僕の中でその感情はまだ未定義な項目であり、その所為で境界線が曖昧になっている。
 女の子と一緒に居たい。喋りたい。遊びたい。触りたい。抱き合いたい。キスしたい。セックスしたい。
 よくある願望である。問題は、どこまで行くとその女の子のことが好きだと言えるかということだ。
 一体、その境界線は何処にあるのだろうか?
 そもそも境界線なんて無いのかも知れない。問題の本質はもっと別のところにあるのかも知れない。
 そんな事を考えつつ、僕は歩を進める。目的地は寺町か新京極。目的は買い物。学期末という時期だからか2週間ほどレポートに追われていて、つい昨日最後のレポートを先生に出し終えた所だった。今日はその間に溜まっていた物を買いに、そしてその間に溜まった鬱憤を晴らすべく、街に繰り出した。

 南北を通る川端通から東西に通る三条通に出て、西に曲がる。交差点では相変わらず、どこかの金融業者や美容室の人間が、チラシを配っていた。「おねがいしまーす」という声。別に欲しくはないが、彼女たちのノルマ達成を手伝うため、ポケットティッシュと割引クーポンがついたチラシを受け取った。
 三条大橋を渡る。橋を越えると、体感気温は爆発的に上昇した。本当に気が遠くなるように暑い。川沿いじゃなくなり、人口密度が上昇したからだろう。
 昨日、東京の観測史上最高の42℃を始めとして、日本各地で最高気温を更新した。昨日だけで全国で100人を越す人が倒れ、そして5人の幼児やお年寄りが亡くなってしまった。気象庁はこの暑さがあと少なくともあと1週間は続くと見ており、そうなればどれだけの人に被害が出るか分からない。ニュースなどで暑さ対策や水分補給を散々促しているものの、果たしてどれだけ効果があるか。この世界には「自分は大丈夫」だと思いこんでいる傲慢な人間が多すぎる。そしてそういう人間が脱水症状や熱中症になって倒れるのだ。

 赤信号に阻まれて、歩を止めることを余儀なくされた。三条河原町の交差点は相変わらず悪意すら感じられる程の交通量で、エンジン音とクラクションで周りの音が聞こえない。歩行者用信号には目が不自由な人のために音楽が流れる装置が付いているというのに、これでは全く意味を為さない。
 気付いてないフリをしている訳ではない。本当に気付いてないのだ。便利さが先行して、それが周りにもたらす影響に気付かない。病的なまでに自己的な閉鎖回路の中心に居座り、自分の「理由」が、他人の「結果」に繋がっていることに気付かない。
 温暖化もそうだし、日本経済の破綻もそうだ。大人たちは自分たちの都合だけで全てを動かして、そして。その尻拭いは下の世代がしなければいけない。
 子供達は、大人達の尻拭いをするために生まれてくる。望もうと望まないと、それは決まっている。それが運命なのだから。
 そう思うと哀しくなった。

 ここの信号は待ち時間が長い。その間に鞄からペットボトルを取り出して、中のコーラを口に含む。
 温い。否定する余地も可能性も希望もなく温い。
 僕が好きな飲み物は二つある。熱く濃いブラックコーヒーとギンギンに冷やしたコーラ。あの悪魔のような黒い液体が喉を通る時の、あの何とも言えない排他的な感触がたまらない。
 そして僕が嫌いな飲み物も二つある。冷めたコーヒーと温いコーラだ。先程述べた魅力を除いたら、コーヒーとコーラには何も遺らない。只の黒い水と砂糖水に成り下がる。そのギャップが凄く嫌だった。
 どうしようか、と少し考えて、僕はペットボトルの蓋を閉めた。何処かでお茶でも買おう。その方が無難だ。
 ペットボトルをしまうと同時に信号が赤から青に変わった。その瞬間、人の波に押されるように、僕は再び歩き始めた。

 気温は上がり続けていた。昔、理科で習ったとおり、気温が一番高くなるのは午後2時前後。すなわち、今が一番暑い時間帯なのだ。
 正直、洒落にならない。
 アーケードに入ったから、直射日光に晒されることはなくなったがそれでも暑いことには変わらない。人口密度も相変わらず高い。今日は平日ではあるが、夏休みに入ったばかりということもあり、学生達が買い物や遊びに来ているのだ。
 人混みは嫌いだった。生まれた時から。物心がついたときから。
 突然、視界がぐにゃりと歪んだ。そして次に視界が黒に塗り潰され、意識がふらりと揺れた。まともに立ってられずに膝をつく。頭が重く、思わず瞼を閉じた。暑さと人混みにやられたか。やれやれ、さっき批判したばかりなのに、と自嘲気味に笑う。今までこんなことなかったし、水分補給もちゃんとしていたはずなのに。まぁそんな日もあるだろう。
 周りの喧噪がはっきりと聞こえてくる。視覚を遮断すれば、聴覚が際だつのはよくある話だ。無駄な会話、乾いた笑い声、戯れた睦言。全てが存在感を持って僕の耳に――――。

 …………………………。

 突然、音も消えた。それだけじゃない。地面についているはずの膝が、目元を抑えていた指先が、そしてあの気が狂いそうな程の暑さが、僕の感覚から無くなっていた。僕は今、何も感じていない。
 生まれて初めて味わう、全ての感覚が無くなるということ。自分が生きているという自覚が無くなってしまう。それは、人が如何に自分の五感に拠って生きていたかということを如実に表す結果になった。何かを見て、何かを聞いて、何かを味わって、何かに触って、感じてるという自覚が「生きている」ということなんだと知った。
 おかしい。何かがおかしい。
 渦巻く不安に僕の鼓動は打ち、嫌な汗が背中を伝う。顔を上げることが出来ない。
 普通の熱中症でこんなことになるのだろうか? 悪い予感だけが、膨らんでいく。
 しかし徐々に頭痛は収まり、感覚が僕の身体に戻ってきた。悪い予感は外れたらしい。“死”という事態は免れたことが僕の心に安堵感をもたらす。呼吸が落ち着くのを待ってから、ゆっくりと瞼を開いた。
 僕の視界に映ったのは。
 予感を越えた事態だった。


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