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オリジナル短編
The world's killed in Fatally Architecture.

 その日、彼、幾凪世界(いくなぎ せかい)は、茹だるような暑さの所為で滝の様に滴る汗を拭いながら、駅前のファーストフードショップに入った。
 昼時とあってか、ファーストフードショップは非常に混雑していた。各レジの前には注文を求める客が列を為していて、世界はその光景に少しうんざりした。たかだかハンバーガーに、列を為してまで固執する理由が世界には全く理解出来なかった。ファーストフードは短時間に手軽に食べられるのが利点なのに、これでは本末転倒である。
 そういう彼がこのファーストフードショップに入った理由は、ただ単にそこが目についた。ただそれだけだった。それだけで充分だった。
 右手に下げている黒いバッグが重い。大きめのボストンバッグで、中に入っているモノのせいでいびつな形をしている。軽装ばかりが目立つ店の中では、そのバッグはひどく場違いなように見える。世界はガチャ、とバッグを床において、しばらく列が捌けるのを待っていた。
 世界はその間、ずっと客達の様子を観察していた。世界の数多い趣味の中の一つに、人間観察があった。癖や仕草で、その人間の人格を把握する。内面の人格は、どんなに隠そうとも外側に滲み出るものである。癖や仕草や言動などに。果たして、世界はそれらから人格を読み取る……いや、形成することが得意だった。
 今も、世界は自身の前に並んでいる女子高生二人組についての考察を進めていた。女子高生が済むとその前の親子連れ。その隣の男子大学生。その後ろのカップル。世界は店内の客全員の人格を自身の中に形成していた。
 世界の前の女子高生二人が注文を終えたのは、世界が並び始めて30分後だった。ようやく世界の番になり、世界は一歩カウンターに歩み寄る。
「いらっしゃいませー。ご注文はなんでしょうかー?」
 店員の女の子の、まるで型から切り取ったようなクッキーのような笑顔を哀れに思いつつ、世界は答えた。
「いや、注文はないです」
 まるで馬鹿にしたような言葉。ピクと店員の頬が引きつるのを世界は見逃さない。今、この店員は少しだけイラついたはず。もっとも、こんな忙しい時間帯に冷やかされて、イラつかない人間などいないのだが。
「あ、あの、お客様? いったいどういう……」
 言葉にも苛立ちが表れる。正直な人だなぁ、と世界は心の中で思う。客商売としては不向きだが、正直な人間は世界は嫌いではない。
「ああ、ごめんなさい。冗談ですよ」
 笑いながら言う世界。店員は馬鹿にされた事実を内心では舌打ちしながら、それでも健気に笑顔を作り直して、
「それでは、ご注文はなんでしょうか?」
と、再び尋ねた。世界は小さく息を吸い込んで、注文する。
「世界」
 言い切る世界に、店員は流石に笑顔を保っていられなかった。その表情の変化が、世界には楽しい。
「僕は、世界が欲しいです」
 それはまるでオペラのような荘厳な響きだった。事実、世界の声は美しい。しかし、アイドル歌手の歌ばかり聴いている店員は、その芸術性を感じるだけの感受性を残念ながら持っていなかった。
「申し訳ございません。言っている意味が、よく分からないんですが……」
 店員は発言を受けて、世界のことを「頭がおかしい」と判断した。時々、こんな客が来る。こんな奴らは社会のゴミなんだから、施設にでも放り込んでおけば良いのに……とその店員は内心思っていた。そして、蔑みの目で世界を見る。世界はその目を、不思議な色彩を持つ瞳で見つめ返した。
「そんなに難しいことじゃないんですよ。僕は、僕が思う最善の世界が欲しいだけなんです」
 そう言うと、世界はバッグからソレを取り出して、カウンターの上に置いた。重い音。
 最初、店員はソレが何か分からなかった。見たことあるような気がしたが、ソレをどこで見たのかが分からない。何に使うものかも、どうやって使うのかも、分からない。聡明な人間なら、姿形でソレが何なのかは理解できるはずだが、残念ながらこの店員は正直で健気ではあるが、聡明ではなかった。
 世界はソレを構えると……目の前の店員に乱射した。
 店員は絶命する前に、思い出した。ソレを昔、好きだった戦争映画で見たことがあること。ソレで沢山の人が殺されたこと。そう、ソレは人を殺すための道具だったのだ。
 悲鳴が上がる。しかし、世界はそれを意に介さず、サブマシンガンの照準を店内の客に向ける。いや、本当なら照準なんて関係がない。何故なら、狙う必要などないのだから。
 世界は、店内にいた45人の客と8人の店員を、何の躊躇いも慈悲も感傷もなく掃討した。
 やがてサブマシンガンの銃声が鳴り止むと、店内で動いている人間は世界一人しかなかった。そもそも、まともな肉体を保っている人間が世界しかいない。他は、文字通りの肉片と化していた。サブマシンガンの殺傷力は高い。
 ……、いや、一人だけ。世界以外にも、生きて、まともな肉体を持った人間がいた。
「あ……あ……」
 年の瀬12歳ほどの少女が、顔を血で染めて壁にもたれるように座り込んでいる。返り血は浴びているが、少女自身には外傷はない。その表情は、恐怖というよりは理解不能により、歪んでいた。その少女の隣には、少女の兄と思われる人間の跡が散らばっていた。
 運よくその少女が凶弾から外れた訳ではない。彼女は世界に選ばれたのだ。
 世界はサブマシンガンを再び黒いバッグにしまうと、少女に微笑みかける。人を殺した直後のようには到底思えない、無邪気な笑みだったので、少女は驚いて、肩を震わせた。
「これは運命なんだよ」
 優しい口調で世界は言う。
「僕がこうやって人を殺すのは、運命だ。この人たちがこうやって殺されるのも、運命だ。分かるかい?」
 少女は歪んだ顔のまま、首を何度も横に振る。少女に、世界が喋っていることが理解出来ているかどうかは分からない。まだ思考は混濁して、世界の言葉を咀嚼するだけの余裕はない。そして、咀嚼したからといって理解できるとも限らない。
 世界は軽く肩を竦めると、それきり何も言わずに、血溜りの店を後にした。

 それから世界は、街路で169と13人の命を立て続けに奪った。その人間たちは、特別何かをしたわけではない。ただ、そこにいただけ。道端で待ち合わせをしていて、デートをしていて、買い物の帰りを急いでいて、アルバイトでポケットティッシュを配っていて、道路工事をしていて殺された。運が悪かった? 違う。彼ら・彼女らは、殺される為に生まれて、殺される為にそこにいたのだ。世界はそう考える。
 運命は最初から決まっている。この宇宙が生まれたその日から。この宇宙が終わるその日まで。
 運命は最初から決まっている。電子レベルで。粒子レベルで。ニューロンレベルで。
 サイコロの出る目の順番はサイコロを振る前から決まっているし、ネコの生死はネコが箱に入る前から決まっているのだ。
 世界の目標はただ一つ。
 “最善の世界”に辿り着くこと。
 そのための、ジェノサイド。善因のジェノサイド。
 その果てにある、“最も善い世界”。
 世界は、この世界が“最善の世界”に辿り着くことを信じている。あらゆる運命を消化していった結果、最終的には運命通りに“最善の世界”に辿り着く。
 世界は、自身を『運命の履行者』だと表現していた。運命を履行する者だと。
 かくして、世界は一日で235人の運命を履行した。

 その三日後。世界は黒いバッグを持って、再び街に出ていた。
 あの事件は勿論ニュースになり、全国に大々的に知れ渡った。世界は特別、自身を隠すようなことをしていなかったので、顔から名前や住所など、すぐに警察によって調べられたはずである。
 ところが、世界が未成年ということもあってか世界の名前や顔写真は公表されることはなかった。そのせいで、誰も世界が他に類を見ない殺人鬼だとは分からない。
 街は今日も人が溢れていた。沢山の人が溢れていた。その中に、世界もいる。235人を殺した殺人鬼が、誰にも気付かれずに人混みの中にいる。
 今、ここでもし世界がサブマシンガンを乱射したなら、先日よりも大きな被害が出ていただろう。世界は少しだけ、その光景を想像してみる。黒のバッグからサブマシンガンを取り出す。黒のバッグには、サブマシンガンの他に拳銃やナイフ、スタンガンなども入っている。それらは状況に応じて使う。この場合は、とにかく人を殺しまくらなければいけない。サブマシンガンが適当だ。引鉄を引く。銃口から無数の弾丸が飛び出し、周りの人間の肉体を貫く。或いは削ぐ。或いは吹き飛ばす。それは、完全な虐殺。誰かが叫んで、誰かが泣いて、でも結局全員が死ぬ。例外なく、全員。その中心に、世界は独りで立っている。
 それを想像した世界は喉で笑った。そんなありえない未来を想像していることを自嘲する。
 世界は、それを行わない。それを履行しない。今、この場で履行される運命ではない。
 世界はしばらく歩き続け、やがて一軒のコンビニの前で立ち止まった。どこにでもあるような、普遍的なコンビニ。先日入ったファーストフードショップと、雰囲気は似ている。同じ空気、同じ匂い、同じ普遍性。
 ……ここだ。
 絶対的な確信と共に、世界はそのコンビニに入った。
「いらっしゃいませ、こんにちはー」
 自動ドアが開くと、爽やかな制服を着た店員が、大声で挨拶をする。店員はレジに二人だけ。世界は店内を見回す。客は先日のハンバーガー屋ほどではないもののそこそこ多く、立ち読み客を含めると20人前後。
 世界は微笑む。今日、この場で履行される運命を思って。
 ほんの少しだけ思案し、世界はまず店員に声を掛けることに決めた。
「すみません」
 世界は笑顔を作って、店員に尋ねる。店員は女子高生と思しき女の子で、世界の顔を見て心の中でガッツポーズをした。
(ラッキー、むっちゃかわいいじゃん! ちょー好みなんだけど!)
 そんな内心を微塵も見せず、女の子は相変わらずの作り笑いで
「はい、なんでしょうか?」
 本人としては、いつもと変わらないつもりだっただろう。しかし、世界はその機微を察する。元々、世界に向けられるそんな感情は多い。もう慣れていた。
 世界は顔を女の子の方に近寄せて、小さく呟いた。
「実はお願いがあるんですが……」
 その行動に、女の子は慌てた。世界の顔は息が掛かるほど近い。その近さが女の子の心臓の鼓動を速める。
「わ、私に出来ることなら」
と、上擦った声で答えた。世界は嬉しそうに笑って、
「ああ、とても簡単なことです。誰にでも出来ることです」
「なんでしょうか?」
 胸をときめかせる少女。世界はその少女の期待に応えるように言った。
「死んでください」
 その声は、女の子には何と聞こえたのだろうか? 死神の宣告か。或いは、懇願か。
 その意味を聞き返す間もなく、女の子は弾丸を腹に叩き込まれ、絶命した。
 そこから先は、先日と一緒。店の品物も一緒に吹き飛ばしながら、店の中の客を片っ端から殺していく。殺していく。殺していく。
 血が、悲鳴が、銃声が、店内に満ちる。
 その間、世界はずっと無表情だった。自分の行為に、何の感慨も浮かばない。それは一般人がルーチンワークをこなしているときの表情に似ていた。世界にとって虐殺とは、一般人にとってのルーチンワーク以上の意味を持たない。
 そして、窓際の立ち読み客を狙おうと体を横に向けたそのとき。乾いた音が聞こえ、世界は自身の右脇腹に鈍い熱さを覚えた。
「あっ……?」
 サブマシンガンを止め、右手でその箇所を触る。ぬめって、暖かい感触が右手に伝わる。そして知覚される痛み。
 右手を見ると、赫く染まっていた。
 世界はゆっくりと、その方向に顔を向ける。数メートル先の、物陰。そこにその少女は居た。
 あの時、世界が選んだあの少女が、拳銃を構えて立っていた。硝煙がゆらゆらと天井に向かって昇っていく。
 再び銃声。今度は世界の左胸の辺りに赫い華が咲いた。世界はサブマシンガンを取り落とし、肩膝をついた。
「あなたが……!」
 その少女は声を震わせながらも、言った。
「あなたがこの人たちを殺すのが運命だというのなら、私はその運命を拒絶する! あなたが人を殺すというその運命に抗う!」
 少女の声は、まるで少女とは思えないほどの力強さに溢れていた。その少女に先日の混乱や恐怖は残っていない。ただ在るのは決意だけ。
「あなたがなんで私を殺さなかったのかは分からない。でも、そんな私だから、あなたの運命に抗う責任がある!」
 世界は口元の血を拭う。そして、笑った。世界の生涯で一番の破顔。
「はは……、うん、そうだ。運命に抗えば良い。でもね、運命に抗うというその行為自体、そもそも運命なんだよ」
 少女が放った二発の弾丸は、右脇腹と左胸に命中している。充分致命傷だった。世界は死に至る。
 それこそが、世界の運命だった。
 少女は世界の言葉に驚いたように、目を剥いた。だとしたら、世界は自分を殺させる為に少女を生存させたというのか?
 少女の困惑を受けて、世界はそれを否定する。
「いや、違うね。僕がしなければいけなかったのは、君に運命に抗うという使命を負わせることだったんだ」
「……え?」
 少女の困惑はさらに強まる。
「僕が死ぬのは、それの“ついで”に過ぎない。しかし、これで一つの凪いだ世界は死に、幾つもの世界に嵐が訪れる。その世界の運命に、君は抗わなければいけない」
 そして、その果てに。“最善の世界”が訪れる。
「ああ、良かったよ。僕はきちんと、僕の運命を履行することが出来た。これから後は、僕の後任が運命を履行してくれるさ」
 ……そう、君が。
 世界は崩れ落ちる。床の冷たさが、ひどく心地良い。脇腹と左胸の流血と痛みと熱を感じ、自分の失われていく命を感じ、履行された運命を感じて、世界は最後に言った。
「これで、“最善の世界”に至れる」






 After you.