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音楽イメージ小説
Pertial eclipse

 古いベッドの軋む音が、耳につく。
 彼女の小さな吐息が首筋にかかる。
 細い快楽で脳髄が痺れそうになる。
 もうそろそろ……と思っていると、彼女が抱きついてきた。
「好き、大好き」
 耳元でそう囁く。僕はそれに答えずに、果てた。

 今日は彼女の誕生日だった。
 なので、僕の部屋で彼女の誕生日を祝うことにした。二人で小さなケーキを食べて、少しお酒を飲んで、そしてベッドに入った。
 行為の後、疲れたのか彼女は寝息を立て始めた。時計を見てみると、まだ22時を少し廻ったところ。寝るのには流石に早いだろう。
 さてどうしようか、と思って暇つぶしにテレビをつけた。ちょうど夜のニュース番組が始まったところで、眼鏡をかけたアナウンサーが「今日は部分月蝕です」と告げていた。
 初っ端のニュースが月蝕。日本は本当に平和だなぁと思いつつ、窓に歩み寄ってカーテンを開ける。ぷっくりと太った満月が空に浮かんでいた。月蝕はまだ始まっていないみたいだ。
 窓の側に座り込む。しばらく月の様子を観察することにした。どうせ、今夜はもうすることはない。彼女もしばらく目を覚ましそうにない。それに折角の月蝕、見なければもったいない。そう思っていると、突然ガチャガチャとドアの鍵が開く音がした。
「月灯くん、いる?」
 声と共に入ってきたのは、僕の恋人のみなもだった。馬鹿な、今夜は何の約束もしていない。
「えへへ、ちょっと良いことがあってさ、来ちゃ……」
 玄関からリビングに足を踏み入れたみなもは、その光景を見て、絶句した。
「何よ、これ……」
 慌しげに視線を部屋中にめぐらせる。まずは僕、そしてテーブルの上に散乱しているケーキとシャンパンの跡、そしてベッドで裸で寝ている彼女。
「どうして地影がここにいるの?」
 やれやれ、と僕は溜息をついた。この光景を見られたのは面倒くさい。が、ちゃんと説明をすれば、みなもも分かってくれるだろう。
「今日は地影ちゃんの誕生日だ」
「知ってるわよ。月灯くんより、わたしの方が地影との付き合いは長いんだから」
 地影ちゃんとみなもは、高校から一緒だそうだ。大学で知り合った僕が知っている情報なんて、みなもは知っていて当たり前だ。
「誕生日だったら祝うのが当然だろう?」
「そうね、そうだけれど、恋人でもないのに二人っきりってどういうこと? おかしいとは思わない?」
「おかしい? 何が? 恋人じゃなかったら、二人っきりになったらいけないのかい?」
「……っ!! いけないわよ! それになんで……何で地影は裸なの!?」
「決まってるだろう、セックスをしたからだよ。でなければ、男と女が裸になる理由はない」
 みなもの瞳の端がつり上がる。みなもは怒っている。とてもとても、怒っている。
「ねぇみなも、何をそんなに怒っているの? たかだか誕生日を祝って、セックスをしただけじゃないか。それだけのことで、怒らないでよ」
 怒る要素なんて皆無なはずだ。しかし、
「『それだけ』ってなによ!?」
と、みなもは怒気を隠す様子もない。大きな怒声だが、地影ちゃんは起きる様子はない。凄い子だと思う。
「それだけはそれだけだよ。こんな些末なことで怒られるなんて、心外だ」
 一呼吸おいて、
「みなも、いいかい? 僕は、みなものことが好きだ。好きで仕方ないと疑いなく言えるくらい好きだ。この感情は独立している。他のどんな感情にも干渉されない。たとえ、地影ちゃんとキスをしようと、セックスをしようと、これが揺らぐことはないんだよ」
 たとえ地影ちゃんとセックスをしたとしても、それはただ体の関係でしかない。快楽は確かに存在するが、ただそれだけだ。その行為によって、僕のみなもへの感情が損なわれることはない。独立している故、なにものにも干渉されないし、影響されない。この完成された感情をもって、僕は彼女を愛している。
「僕の、みなもへの想いに比べたら、地影ちゃんへの行為は、極めて些末なことだ。怒るに値しないよ」
「……体を重ねることを、正当化する気?」
 みなもは言う。僕は首を横に振って
「違う、そうじゃない。体を重ねることは、正当化する価値もないと言っている」
と諭す。みなもはそんな僕の言葉が理解できないといった風に、眉根を寄せる。
「本気で言っているの?」
「ああ。本気だ」
 こんな当たり前のことを、冗談で言うほどおろかではない。
「そう……」
 目を伏せ、みなもは悲しげな表情を浮かべた。どうして? どうしてそんな悲しげに笑うんだ?
「分かった。本気で言っているんだったら、しょうがないよ。……別れましょう」
 最初、みなもが何を言ったのか、理解できなかった。『別れましょう』? 別れるって、僕とみなもが?
「わたし、月灯くんのことが大好きだった。だからこそ、月灯くんの行為は許せない」
 『許せない』? どうして許せないんだ。僕は許されないことなんて、何もやってはいないのに。可笑しくて笑いそうになるのを必死に堪え、真面目な口調で言う。
「別れる必要はないよ。僕はみなものことが好きだし、みなもは僕のことが好きだ。愛し合っているの別れるなんて、おかしいだろう? これからもずっと、永遠に僕たちは一緒だ」
 僕の主張を聞いたみなもは、とても残念だと言わんばかりに首を振った。
「月灯くん、わたしたちは、永遠なんて言葉では繋がっていないの。刹那の繋がりを、ずっと繰り返しているだけ。だから、その一刹那を大事にしなければいけない。ずっとこのままであり続けるなんて、そんなの、傲慢以外のなにものでもない。月灯くんのその傲慢さは、いつかわたしたちを殺すわ」
 みなもはとうとうと語る。傲慢? 僕がか? どう控えめに見ても、真面目で誠実である僕が傲慢?
 冗談だろ?
 しかし、みなもは極めて真面目な顔で、あるいは無表情とも呼ぶべき顔で続ける。
「月灯くんのことは好きだけれど、その傲慢さを許すことは出来ない」
 みなもはいったい、何を言っているんだ。みなもの言っていることが、僕はまるで理解できない。違う言語を喋っているのではないかという錯覚さえ受ける。
「ねぇ……いったい何を言っているの? 何をそんな見当はずれなことばかり言っているの?」
「月灯くんにとっては、見当はずれかも知れないね。でも、逆に月灯くんの言っていることがわたしにとって見当はずれかもしれないってこと、分からない?」
 そんなこと、ある訳がない。なぜなら
「僕の言っていることは、真理だ」
「……」
 みなもは何かを諦めたように、口を閉じた。
「みなも、どうして分かってくれないんだ? 僕は間違っていない!」
「……分からないに決まってるじゃない」
 最後に、みなもはそう吐き捨てると、くるりと背を向けた。
「さようなら」
「待って、みなも!!」
 目の前で、ドアが閉まる。追いかけようとするが、意志に反して足が動かない。震えて、動かない。僕は呆然と一人、立ちすくむ。
 部屋の中からは相変わらず眠り続ける地影ちゃんの寝息だけが聞こえてきて。窓の外には、歪な形の月がぽつんと佇んでいた。

end



川田まみ「eclipse」より