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音楽イメージ小説
Double HarmoniZe Shock!!

 進路相談の山田先生には「無理だ」と言われた。
 なんでですか!?と食って掛かると、山田先生は口ひげをむしゃむしゃと弄りながら、馬鹿にした口調で
「そりゃ、お前の今の成績で国公立大学なんて行ける訳ないだろ」
 むしろ、どうしてお前はお前の学力で国公立なんて行こうとしているんだ?と逆に尋ね返された。事実なので、反論のしようがない。
「赤点が現時点で三科目……赤点ぎりぎりが五科目。まともなのは家庭科と音楽くらいじゃないか」
「でも……」
「でももクソもない。もうちょっと、自分のレベルに合った私立大学を探して来い」

 ぴしゃり、と進路指導室の扉を閉めると、私は重く深く溜息をついた。
「なに溜息ついてるの?」
 進路指導室の前で待っていた同じクラスの守口さんがちょこんと首を傾げる。小柄で童顔な彼女のその仕種は、相変わらず可愛らしい。
「別にぃ。ほら、次、守口さんの番だよ?」
「うん。じゃあね」
 守口さんは、微笑を浮かべながら、進路指導室の扉を開けた。

「なによ、あんなに言わなくてもいいじゃない」
 ぶつぶつと文句を言いながら、廊下を歩く。
 私は今を時めく高校三年生だ。それと同時に、俗に言う受験生である。そして、一般的な受験生と同様に、進路に困っている。
 私の志望は、一応、地元にある国公立大学だ。理由は単純。学費の関係で、私立なんて通う余裕がないなのだ。
 先生が笑う理由は分からないでもない。つまりは、私の成績が悪すぎて、国公立大学なんて受かりっこないということだ。……確かに、私の通知簿には赤い文字ばっかりが並んでいるんだけれどっ!(うちの学校は文字通り、単位を落とした科目に関しては赤い字で評価が書かれている)
 憂鬱の溜息を吐きながら、教室のドアを開けると、ちょうど数人のクラスメイトと鉢合わせた。
「お、村上さん。今日進路指導だっけ? どうだった?」
「うーん、ぼちぼちかな」
と、私はわざと濁らせて返した。彼らが鞄を持っているのに気付いて、
「帰るの?」
「いや、今から図書館で勉強しようと思って。俺ら、結構成績やばいしさ。早めからやっておかなきゃ、大学受からないし」
 そう言って、数人の友人は私の隣をするりとすり抜けて、図書館の方に向かっていった。
 教室を覗いて見ると、既に誰も居なかった。進路指導があったせいで、とっくの昔に下校時間は過ぎている。からっぽの教室は、普段の姿とはかけ離れていて、まるで別の存在のように見えた。
 自分の机に近寄り、鞄を取る。先ほどのクラスメイトの姿と台詞がフラッシュバックする。
『早めからやっておかなきゃ、大学受からないし』
「……そうだよなぁ」
 私の記憶が間違っていなければ、彼はそれほど成績は悪くなかったはず。少なくとも赤点ばかりの私よりは絶対にいいはずだ。
「私もそろそろ本腰いれなきゃなぁ」
 とか言いつつも、まったくやる気はでない。現に、これから普通に帰って普通にまったり夜を過ごすつもりだった。勉強……ねぇ。
 なんだか本当に憂鬱になってきた。
 もともと、受験なんてしたくない。大学なんて行きたくない。だけど、仕方がない。
 それしか、選択肢が存在しないのだから。
『そりゃ、お前の今の成績で国公立大学なんて行ける訳ないだろ』
『もうちょっと、自分のレベルに合った私立大学を探して来い』
「……分かってるわよ」
 少しイライラして、頭を掻く。
 ふと、守口さんのことが気になった。彼女は、進路指導の山田先生になんて言われるんだろう? 彼女も私と一緒のように笑われるんだろうか。あるいは、彼女みたいに才能に溢れた人の夢は、笑われないんだろうか。
 私とは違って。
 ……私とは、違って。
「あれ、まだ残ってたんだ?」
 突然、教室の扉が開いた。驚いて振り向くと、入ってきたのは、私の後に進路指導を受けた守口さんだった。
「てっきり、みんな帰ったものだと思ってた」
 彼女は微笑みながら、自分の机に鞄を取りに行く。その笑顔に曇っている点はまったくない。ほんの少しだけ、暗い感情が持ち上がり、
「ねぇ」
 私は。
「守口さんは、進路どうするの?」
 自分でも気付かないうちに、その言葉を発していた。
「え、わたし?」
 突然の問いに多少困惑の表情を浮かべながら、
「村上さん、知らなかったっけ? わたし、上京するの。レコード会社に声掛けてもらっているから、そこでお世話になって、歌手デビューを目指すんだ」
 ……それは、既に知っている情報だった。
 彼女は、歌手を目指している。彼女の歌唱力は相当のものだし、ルックスもずば抜けている。実際、校内にも彼女のファンみたいな人たちもいるほどだ。
 単純に歌の上手い人なら、彼女以外にも何人かは知っている。しかし、その人たちと比べても、守口さんは特別だった。何かが、決定的に違ったのだ。
 私も彼女の歌を初めて聴いたときは、不覚にも震えてしまった。
 まさに、歌手になるために生まれたような人物だ。歌手デビューを目指す……とは言ってはいるが、おそらくほとんど確約されているのだろう。
「そう……なんだ」
「村上さんは?」
 そう尋ねられて、私は無理やり笑顔を浮かべて答える。
「私は普通に大学に行くよ。もっとも、どこの大学に行けるのかは分からないけれど」
「あれ? 村上さんも歌手、目指しているんじゃなかったの?」
 驚きのあまり、目を剥いた。背筋が凍りつく。震える喉で、何とか声を紡ぎだす。
「な、なんでそれを……?」
「だって、わたしも目指しているんだもん。知っていて、当然じゃない?」
 馬鹿な……。私はそれを……自分の夢を、他人に言った覚えはない。自分の心の裡の中で、ひっそりと思い続けた夢だったのに。
「ねぇ、歌手を目指すの、止めるの?」
 じっと、私を見つめてくる守口さん。大きくて可憐なその瞳の中に、私が映っている。
 プレッシャーに耐えられなくなり、顔を背けようとするが、不思議と顔を背けることができない。
「もう高校三年生だし……ちゃんと自分の進路を考えなきゃいけない時期だしさ。そんな夢ばかり追ってばかりもいられないじゃない?」
 あえて、軽い口調で言う。
 ……何故だろう。守口さんの瞳に映る私が、酷く滑稽に見えるのは。
 心が、ざわつく。先ほどの進路指導の苛立ちと合わさって、得体のしれないもやもやとした感情が湧き上がる。
「夢、諦めちゃうの?」
 あくまで無垢な、その言葉の響き。何の迷いもないその音で、私の中の何かが切れた。
「諦めたい訳ないじゃない!!」
 ガンッ、と強い音。知らないうちに自分の机を殴っていた。
「ずっと昔から歌うのは好きだった。だから、幼い頃から歌手になりたいって思ってたし、なれると思ってた。だけど、そんなのは幻想に過ぎない。私より歌が上手い人なんて周りにはたくさんたくさんいたんだ。守口さん……あなたと出逢ったときのことは今でも忘れられない」
 あの時の、高校二年の夏のことは今でも忘れられない。
 噂は聞いていた。同じ学年に、歌唱力が抜群に高い女子がいるって。一年の時は聴く機会はなかったけれど、二年の夏にようやくそれは訪れた。
 彼女の歌声を初めて聴いたときのあの気持ち。あの感情。今でも、私の心身の奥底に刻み込まれている。
「初めてあなたの歌声を聴いたとき、本当に震えたわ。あなたのあまりの才能と、自分の平凡さに」
 この世に『化け物』と呼称されることを許される人間がいたとしたら。
 守口絵里沙は、間違いなく化け物だった。歌をうたう、化け物。
 その化け物の圧倒的な才能を前にしたら、村上寛子はあまりにも小さくて、平凡で……。そして、惨めだった。
「私みたいな才能もない平凡な女の子が、あなたみたいな化け物と同じ夢を見るということ……。それがどれほど残酷で、惨めなことか。あなたには一生、分からない」
「だから……諦めるの?」
「だったら、諦めるしかないじゃない! ……それほど、あなたは圧倒的だったのよ。私には無理だと、自覚させるほどに」
 いつの間にか、日は傾きかけ、オレンジ色の光で教室は染まっていた。その橙色の中央で、わたしたちは対峙している。
「ねぇ、村上さん。一つだけ、言わせて」
 静かに、守口さんは口を開いた。


「甘えないでよ」


「……え?」
「そんな、『才能』とかそういう言葉に甘えるの、やめたら?」
「甘え……!?」
 カーっと頭に血が上る。甘え……? 甘えてなんていない!!
「本当に、そう言い切れる?」
 熱くなっている私とは対照的に、守口さんはとても冷ややかだ。普段の温厚な彼女からは感じられない、意志の強さ。
「村上さん、夢を叶えるためにどれほどの努力をしてきた?」
 一歩、守口さんが近づいてくる。そして、さらに一歩、さらにもう一歩。守口さんと私の距離は、既に五十センチも離れていないところまできていた。
 守口さんは、私を見上げる。その瞳の光の強さに、慄いた。私の方が身長が高いにも関わらず、既にその関係は逆転していた。
「夢ってね、叶えるには相応の『覚悟』が必要なの。何かを犠牲にしてでも叶える『覚悟』があって初めて、夢は夢で在り得る。村上さん、あなたはそんな『覚悟』を持ってる?」
「…………」
 気圧されて、何も言えない。そんな私を、とても冷たい目線で見つめてくる守口さん。
「私は、歌をうたうために、あらゆる努力をしてきたつもり。それこそ、時には家族や友人を蔑ろにして、自分が歌うことだけを考えてきた」
 一瞬、守口さんの表情が曇った。その陰りに含まれているのは、いったいどんな感情なのだろう? 私にはそれはまったく分からない。
「あなたはそれだけのことをしてきた? 少なくとも、わたしより才能がないって思ってるんだったら、わたし以上の努力はしてきたんでしょう?」
「わ、私は……」
 自分でも気付かないうちに、声が震えていた。喉がからからに乾いて、うまく言葉が発せない。
「ねぇ、答えてよ、村上さん」
 なおも詰め寄ってくる守口さん。その圧力に、頭がクラクラする。
「私は……私は……」
 私は、いったい今まで何をしてきたのだろうか?
 『歌手になる』という夢を叶えるために、いったい何をしてきたのか。
 歌をうたった。ボイストレーニングもした。ランニングや筋肉トレーニングをして、体力もつけた。それでもなお、私は彼女に届かなかった。
 届かなかったのは何故? もともとの才能? それとも……。
 『覚悟』の違い?
 いくつかの場面が、フラッシュバックで蘇る。友人たちとの付き合いを優先して、ボイトレをサボった放課後。あまりに疲れていて、筋トレをサボった夜。テスト前だからと理由をつけて、歌うことを蔑ろにした日々。
 それはきっと、覚悟が足りなかったから。
 守口さんは、きっと、友人たちの誘いを断り、どんなに疲れていてもトレーニングは欠かさず、テスト前でも勉強と歌うことを両立させていたのだろう。
 そんな私と守口さんを比べたときに、どちらか歌手として適切か。そんなもの、比べるまでも無い。敵うわけがない。
「私は、きっと、あなたよりも努力をして来なかったと思う」
 素直に、そう認めた。
「……そうね、多分そうなのよ。だって、わたしと同じように『覚悟』を持っていたとしたら、きっと才能の所為だとか、甘えたことは言わないと思うから」
 守口さんに言われて、はっとする。ああ、うん、そういうことなのか。
 本当は守口さんなんて、関係ないんだ。きちんと夢を見据えて、そのために全力を尽くしていたら、他人の才能なんて関係はないはず。
「結局、私に『覚悟』なんてなかったんだ。どんな努力をしてでも、歌手になるという夢を叶える『覚悟』が」
 そんな私の歌声が誰に届くというのだろう?
 守口さんは、『覚悟』を持って歌っていたからこそ、あれほどに心に響いていたんだと思う。
 あれは『才能』ではなく、『覚悟』だった。彼女の『覚悟』が、歌声に乗って、響き渡っていたんだ。
「村上さん、どうする? 今、あなたに残されている選択肢は二つあるわ。一つは、最初の選択どおり、もう諦めてしまうのか。もう一つは……」
 絶対に歌手になるんだと、『覚悟』を決めるか。
 波打っている胸の鼓動が、やけに大きく聞こえた。まるで、私に対して答えを求めているかのように。
 目を瞑って、自身に問いかける。
 ずっと今まで胸に秘めていたその夢を。
 まだ、追い続けていくのかどうか?

 それは、原初の光景だった。
 小さい頃、本当に小さい頃。世界の理の何も知らないくらい、小さい頃。
 私の世界は、その想いで満たされていた。
『ひろこ、ぜったいにうたう人になるんだ!』
 そんな純粋で無垢な想い。何も知らないが故、なにものにも冒されていない夢。きらきらと光るその夢だけが、私の世界だった。
 その世界を裏切る訳にはいかない。
 ……答えは決まっていた。

「守口さん。私、『覚悟』を決めたわ。昨日までの私を忘れて、今日から再び、夢を追うことにする。叶わないかも知れない残酷な夢だけど、ずっとこれから形の無い抵抗を続けていくわ」
 決意と共に、すっと静かに目を開く。眼前の守口さんは、私のそんな様子を確かめると、淡く微笑んだ。
「いい目だね。大丈夫、あなたのその『覚悟』はきっと無駄にはならないよ」
 先ほどまでの冷たさは消え去り、守口さんはいつも通りの柔和な雰囲気に戻っていた。
「でも……やっぱりちょっと考えちゃうんだ。自分が歌手になれなかったときのことを」
 歌手になれなければ、このままではフリーター確定だ。それは流石に不味い。親になんて言い訳しよう? ああ、『覚悟』を決めたばっかりなのに!
「あら、それはわたしもずっと考えてるわ」
「えっ!?」
 守口さんの意外な言葉に、私は驚いた。
「歌手になれなかったときのこととか、たとえなれたとしても売れなかったらどうしようとか。でも、もうここまで来たら、前に進むしかないでしょう?」
 ふふ、と笑う守口さん。本当に意外だった。彼女はそういった不安とは無縁だと思っていたのに。
 彼女も不安を抱えているのだ。それを、『覚悟』の基に、必死に飼いならしている。
 なんだか、少し可笑しい。私は守口さんは化け物だと思っていた。その認識は今でもそんなに変わらないけれど、化け物である前に、守口さんは不安でいっぱいの普通の女の子だったのだ。
 元気が出てきた。
「私、頑張るよ。頑張って、絶対に守口さんを越える歌手になってやるんだから」
「楽しみにしておくね、村上さん」
 オレンジ色に染まる教室の中。私たちは穏やかな気持ちで、二人でずっと笑っていたのだった。







「ひろちゃん、ひろちゃん! どうしたの、ぼーっとしちゃって」
「ん……昔のこと、ちょっと思い出してた」
「昔? オーディションの頃とか?」
「違うよー。高校の時の話」
「え、えええええええ!? なんで、そんな本当に昔の話思い出してるの!?」
「いやー、あの時、諦めてなくて良かったなって。もし諦めてたら、ここまで来れなかったもん。本当にありがとう、絵里沙」
「ど、どういたしまして。でも、お礼を言うのは早いと思うよ、ひろちゃん」
「?」
「せめて、あと三時間後にね」
「あはは、『ライブ無事に成功できたのは絵里沙のおかげだよ、ありがとう』って?」
「だって、私の方が才能あるもんね〜」
「う、うう……それを言うのは反則だよ」
「あ、そろそろ時間」
「本当だ。……よし、行きましょうか」
「わたしたちの初ステージ、絶対成功させようね」
「うん。私たちの歌声、ステージいっぱいに響き渡らせてやるんだからっ!!」

end



 KOTOKO TO 詩月カオリ「Double HarmoniZe Shock!!」より